おばあちゃんが亡くなってもう5日も経った
明日は初七日
泣いてない日がない
それでも日に日に泣く量が減ってて
お昼にはお腹が空くし人と話せば笑ったり
Twitterやインスタも見るようなって
もうこの世のどこを探してもおばあちゃんはおらんのに、少しずつそれが当たり前になって
前みたいな日常に戻っていく
なんでもっと会いにいかなかったんやろ
もっと写真撮ったけばよかった
電話ででも大好きだよって伝えたらよかった
でも言った時は毎回泣いとった、私が
あともう一回もう一言でいいから会って話したかった
たくさん謝りたいし感謝も愛も伝えたい
全部もう叶わないし、これからは二度とそれを叶えられないと思うとぞっとする
それが当たり前になるのが、おばあちゃんのいない世界を段々自分が受け入れていくのがいやすぎる
おばあちゃんに会いに行った4年と5ヶ月前、帰るときにあげた2枚組のハンカチがおばあちゃんのタンスから出てきたから、1枚は棺に入れてもらって1枚は持って帰ってきた
家でそのハンカチに顔を埋めたらおばあちゃんのにおいがして、でも私はこのにおいがいつかしなくなることを身を持って知っていて、それがどうしようもなく悲しくてまた泣いた
今年のお盆はママと鹿児島に帰る話をしていた
でも6月ごろ、またコロナがひどくなって相談の末里帰りは見送った
見送らなければよかった
ママはおじいちゃんが死んだ時も最期には立ち会えなくて、仕事や生活を優先して悩んで、仕事に行くと判断して結局帰らぬ人となってしまって、そのときにおばあちゃんのもしもがあったら私たち家族のことも仕事のことも全部後回しにしてすぐに帰って、何日でも許す限り側にいてって言ってあげんねんって心の中で誓ったのに
おばあちゃんは急にいなくなって、おばあちゃんとの最期にもママにはちゃんと立ち会わせてあげれなかった
距離もコロナも自分も憎い
おばあちゃんとママのことを思うとそれだけで泣けるし、でも今はママのこと抜きにしても泣ける
ママより悲しんで落ち込んでしまったら申し訳ない気持ちもあるけどうちもまあまあおばあちゃんっ子やったから
記憶がないくらい小さい時、ママが抱っこしてもぎゃん泣きしてたうちはおばあちゃんが抱っこすると途端に泣き止んだらしい
ママがすごくやきもち焼いたって何回も聞かされた
家族で帰省して、みんなは和室で川の字で寝るけど、うちだけいつもおばあちゃんと一緒に寝とって、思春期の時もおばあちゃんだけには特別素直になれた
浪人するって決めた時も、おばあちゃんとの電話ではいっぱい泣いた、てげてげでいいんだよ、元気でいればいいんだよ、って励ましてくれた
成人式はおばあちゃんが喜ぶかなと思ってママと叔母が成人式で来た振袖着てん、会いに行った時前撮りのアルバム持ってってべっぴんさんになったねって言ってくれて
毎回会いに行くといっぱいご馳走準備してくれて、最後に会った時も、もうだいぶ食も細くなって腰も90度に曲がって、うちが行けば徒歩3分もかからんくらいのスーパーにゆっくりゆっくり時間かけて途中休憩して、行ってくれて、カゴに入りきらんくらいたくさん買おうとして、2人じゃ食べきれないよってとめるくらい、
もうご飯すこーしと味噌汁しかたべれないから、普段は作らないけど理紗ちゃんが来るから、ってテレビで見たレシピをわざわざ作ってくれて、初めて作るから美味しいか分からんって美味しいに決まってるじゃんそんなの
時間がいっぱいあるから裁縫してるって言っててスカート縫ってくれるって、できたら送るねって言ってくれて、できたスカートほんとに可愛かったよ、手縫いでどのくらいの時間をかけてくれたんだろうあんな小さくなった身体で、手で、どのくらい大変だったんだろう
料理上手で裁縫上手で優しくて可愛くて綺麗で、世界のどこ探してもおばあちゃんより素敵なおばあちゃんおらん
何でもっと会いにいかなかったんだろう
この後悔はどうやって向き合っていけばいいんだろう
おばあちゃんが作ってくれたスカートを見ては泣き、二人で写ってる写真が私が大きくなればなるほど減った事実に泣き、お土産で買ってきてくれた可愛すぎるキティのストラップを見ては泣き、おばあちゃんのことを思っては泣き、
もうほんまに前に進みたくない
おばあちゃん夢にも出てきてくれない
悲しい
一人暮らしじゃなくて本当によかった
お葬式に行けてよかった
すごく小さくなってた
いっぱいがんばったんやね
おじいちゃんのお葬式で、おばあちゃんは大泣きしながら今まで連れ添えてよかったありがとうと言ってたから、今はおじいちゃんと一緒で寂しくないよね
お葬式もそのあとのことも、本当に残された人のためのものなんだと初めてわかった
おばあちゃんあんまり会いにいけなかったの怒ってないかな、もっと会いにきてよって思ってなかったかな
少し前くらいからは電話したら毎回自分なんかが長生きして迷惑ばっかりかけてていやだ、って言ってたけど、そんなわけないのに、生きててくれるだけでいっぱい支えになってたのに
もっともっと言葉にして伝えたらよかった行動に移せばよかった
何回も佐賀に行ってたのに鹿児島まで行かんかった自分がいや
博多でお土産探していいのなくて来月三重行くからそこで探そ思って三重行った時忘れてた自分が嫌い
大事で大好きやったのにそう胸を張って言えるような行動できてなかった
忘れてたことも思い出さんかった時もあるのがいや
自分を許せない
自己中すぎるけど、今さらこんな風に思うのは都合良すぎるけど、でもやっぱりもうちょっとでいいから長生きして欲しかった
結婚式も来て欲しかったし、ひ孫も抱かせてあげたかった、あげたかったじゃない、抱いて欲しかった、
いっぱいごめんね
ありがとう
しばらく泣いて過ごすからまた心配かけてるんかなとも思うけど、健康に体調崩さないようには頑張りたいからちょっとの間は許してほしい
自分は別にはよしんでもええと思ってたけど、ママのこともうあんなに泣かせたくないし親よりは長く生きないとなって真剣に思えたからおばあちゃんに会えるのはまだまだ先になるけど会える日まで頑張って生きるね
そんなんいややけど、いつかこうやって思ってたことも泣く量も少なくなって、それがむちゃくちゃ吐き気するほどいややけど、それでも少しずつ薄れていってしまう気がするから
とりあえずここに書いといた
そもそもかけるくらいに受け入れてこれてるってことやもんな
人間の感情って、死を受け入れる体制ってすごいな
人に読ませるもんちゃうよな、みんなごめんな
あーーー、人生一悲しいな