じゅみょうとかいのちとか

ここ1ヶ月くらい、命についてよく考える

もっと具体的に言うと、身近な人の死について

 

妹がもし、今もう生きているのが辛くて仕方なくて、生きていくことを諦めたいと、思っていたら怖い

会う時はそれなりに楽しい話をして、笑顔もあるし、美味しいものを食べに行くと、完食もできるし、ラインしてる時は普通に冗談言ったり、おもろいけど、けど、夜は相変わらず全然寝れてなくて朝はいつも辛そうで、調子が悪いとご飯は全然食べないし、不意に姿が見えないと思うと、隅っこで小さくなって泣いている

もどかしい、こわい、自分の人生から妹がいなくなったらどうしたらいいんだろう

そんな恐ろしいこと誰にもいえない

でもずっとずっとずっと不安で何してても心のどこかにその恐怖がある

つかれる

生きたくないなんて、頼むからそんなこと思わないで、うちどうしたらいいかな

どうしたらそこから掬い上げられる?どうしたら代わってあげられる?どうしたら夜安心して眠れる?

弱い姉なのでこれを書くことも怖いし書かずにやってられないとこまで来てるし

結局人が人にしてあげられることしてもらえることなんか何もないんじゃないかって

 

そんなことを常に思う日々

 

そんな大して生きてたい理由もないけど、妹のこと絶対最後まで絶対にひとりにしないって決めたから今日も仕事してご飯食べてゲームして寝るけどさ

 

いやまあ常にこんな恐怖に支配されてるわけじゃないし考えてる時も本気でそうとは思ってないけど不意によぎるいやなことって感じやから

文章にすると大仰になるけど普通に元気、、?まあ元気だけどねうちは

 

でもまあそういう気持ちが辛くなる瞬間が前より増えたのは確かで

それゆえに死について考える時間が増えた

 

こないだはおばあちゃんにどうしたも会いたくてでも会えないから悲しいなぁって思ってたら気付いたら泣いてて弱ってんなぁと思った

死ってなんだろう、望む人にとっては救いなのか?

 

これから先の人生思うと憂鬱で生きるのめんど!しんどーと思うことはあるけど、いざじゃああなたの命は明日までですって言われたらめっちゃ怖い、え、むりかもってなる多分

今までの記憶や思い出や出来事や経験や思考、懐かしい景色や匂い、母の味、こたのぬくもり、夫の体温、そういう毎日に当たり前にそこにあって感じてきたものたちが全部無になるってどんな感じなんだろう

年取ってからだんだん思うように動かなくなる体や脳をどう受け止めて生きていくんだろう

老衰で死ぬその直前は自覚があるんだろうか

眠るように逝った全てのご老人はほんとうに眠るような気持ちで逝ったんだろうか、死への自覚や不安や恐怖はなかったのだろうか

おじいちゃんおばあちゃんのその時は、苦しくないものだったかな、そうであってくれ

自分が死ぬ時はどんな時だろう

おばあちゃんが亡くなった時は、ママのおかげで立ち直れたのをよく覚えている

でもじゃあ順当に生きていればいずれ来る、言葉にするのが怖すぎてようかかんけど、その日は、どうやって立ち直ったらいいの?

その時の妹を、うちは支えてあげられるんかな

この不安全て杞憂で終わらなくて、いつの日か絶対必ず来るのが確定してるの地獄じゃん

 

これからもっと歳を重ねて、40代50代になったら気持ちの準備ができるんかな

みんながいなくなるのいやすぎて、いっそみんな(自分含めて)一緒にいなくなれって思うことある

みんなはどう?

 

p.s. 次の日仕事でもスプラとあつ森深夜2じまでやり込むぐらい普通に趣味に勤しんでるので暗いブログですが心配しないでください