声のない世界

に、なればいいのになって思ったことないですか

わたしはけっこうあります

言葉はやっぱり大事だからあってほしいなって思うんですけどね、好きな人に好きと伝えたり、会いたい人に会いたいと伝えたり、言葉を持たずにそれを伝えるのはわたしにはすごく難しいから

でも声でなにかを伝えるのってすごく残酷な時ないですか

わたしたちは基本的には、どんな時も、頭で、こころで、一拍置いて考えて伝えなければならないのに声があるとそれをすっ飛ばして

(特に、罵ったり怒っていたり負の感情を持つときにそれは起こりやすくて)

でも発した声、言葉はどうやっても元に戻せないので

受け取った相手はしんどいし、きっと発した人もうっかり言ってしまったのなら、後悔しますよね

 

そもそも筆談だけの世界で、わたしたちは大切な人に負の言葉を投げかけるんだろうかって思いませんか?

 

つまんな

しょうもねー

おもんないな

くだらんわ

ばかげてる

いみあるん

クソやん

 

そういう言葉、多分相手に向かって書いてる時点でやめたくなりませんか?

 

言葉が溢れて、音が溢れて、情報が溢れて、

もういい加減にしてくれよって

確かにわたしもそれらの恩恵をしっかり受けている人間の一人ですが、無責任にそう思ってしまう日がある

 

耳が聞こえないというよりは音がない世界

鉛筆と紙のこすれる音だけあればいいのに、、、

 

 

 

 

って思ったけど音がない世界はやっぱり言い過ぎだね〜〜!!!!

音楽好きだしね〜〜。

好きな人の声もやっぱり聞きたいしね〜〜。

 

まあなんというか、わたしはあほだから口だと考えなしいらんことを口走ってしまうけど

文章ならもうちっとだけちゃんと考えてから思いを伝えれるかなぁみたいな話がしたかったんですね、うんうん

 

ももし筆談だけの世界になったら文字は衰退するかもだね、速記のあのニョロニョロが普及してしまうかも、それはちょっと悲しいよね、ひらがなもカタカナも漢字もすごく愛おしい造形をしていると思うのでね

 

 

 

 

楽しくて忙しい気分のときはブログ書く気が起きないし、かと言って悲しい時に書いたってろくなこと書けない

どうやったって変わらないものなんてない、友達だって家族だって恋人だって、その関係を表す言葉自体は変わらないけど一年前のわたしたちと今のわたしたちの形は微妙に違うくて、それがいい形の変化だろうが悪い形の変化だろうが、わたしは変化そのものが、変化していくこの世の中がどうやったって辛い

ツイッターにも書いたけど、わたしのしにたいはいつでも進みたくなさから出るもので、、

 

なんかお昼からこんな軽やかでない話して申し訳ないですね

もう時間がないのでこの話の続きはいつかに〜〜!